このブログを書き始めたきっかけ

このブログも書き始めて半年以上が経過しました.(日本の)アカデミアという狭い世界でしか通用しない価値観に染まってしまった人に,あるいは大学院というアカデミアの入り口に立とうという人に対して,有意義な情報を提供できていれば幸いです.

実は,1年くらい前までは「余剰博士と言っても本人が選んだ道であり,彼らも立派に成人しているのだから,今後どのようにするべきかなど本人の勝手だ.野垂れ死のうが知ったことではない」と考えていました.

このブログで「大学院の研究室は十分に調査するべし」と何度も述べました.しかし,ほとんどの人はろくに調査もせずに,高校から大学に進学するように,大学院に進学しているのです.おそらく,このブログを読んでも「そんな面倒なことなどやっていられるか」というのが多くの人の反応なのではないでしょうか.進学をするのにそこまで神経質になる必要など無いというのが普通の考え方なのだと思います.

しかし,大学院はこれまでの教育機関と全く異なるのです.大学院は研究者を養成する専門学校にすぎない,という比喩はどこかで書いた気がします.しかし,大学院は普通の専門学校とも違います.大学や専門学校では授業に出て課題をこなしていればよいですが,そうはいかないのが大学院なのです.例えるなら「ワンマン社長の経営する零細企業」ですかね.大学院生になっても給与が貰えないという大きな違いがありますが.

例えがどうであれ,大学院は「研究室という小さいグループに下っ端として所属して,実働部隊として働くところ」なのです.つまり,逃げることのできない上下関係が存在し,その下っ端として仕事をしなければならないのです.理論系なら基本放置です.基本孤独です.なぜ学費を払ってまで大学院に所属しているのかわからないくらい孤独です.

そして,院卒は一般企業にはそれほど歓迎されません.例外は,修士学んだ内容が活かせる職場のある企業のみです.それは日本の法律等々が,企業が若い人を必要とするような制度にしているから,そうせざるを得ないのです.順調にとっても27歳,ヘタしたら30歳に達している会社員未経験者など,22歳の新卒より価値がないのです.

そういう状況があるのですから,大学院への進学希望者は限られていて当然なのです.しかし,大学院重点化から約20年,余剰博士問題が言われるようになって約10年たった今,大学院進学者,特に博士課程進学者はめぼしい減少を見せません.バブル崩壊後の数年間増加したというのならわかります.しかし,既に失われた20年と言われているのです.数年待っていればジョブマーケットが良くなるというのはもはやただの夢です.そもそもその数年間で「若さ」という価値は失われていくわけですから,根拠も実績もない夢にその数年間を捧げる価値があるのかどうかをしっかりと考えないといけないのです.(ちなみに博士号取得者のジョブマーケットは良かった時代などありません.例外は大学院重点前後までで,就職先は大学限定です.)

私は自分の将来を見据え,研究室候補を調べたうえで進学したので,今は楽しく仕事ができているのです.

その一方で,薄給・無給ポスドクで苦しんでいる人をみたり,ろくに業績もないのに博士課程に進学しようとする人をみてきました.最初は冒頭にあるように本人の勝手だと考えていました.酷い言い方をすれば「余剰博士問題を解決するには十分な数の余剰博士という生贄が必要だ」と思っていたのです.

しかし,そういう人たちと話しているうちにわかった事があります.それは「大学院の内部の実際は十分に知られていないし,知る方法も少ない」ということと「大学院は価値観を固定するのに十分な時間と状況がある」ということです.だとしたら,日本経済が破綻でもしない限り大学院進学者は減少しないのではないか,冗談で言っていることが実際に起こってしまうではないかと怖ろしくなったのです.

それがこのブログを書き始めたきっかけです.

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