結局は他人事

国立大学法人理学部長会議声明が公開されました.内容は今年のノーベル賞の言葉に乗っかっただけの文章なのですが,いくつかひっかかることがあるので,少し書くことにしました.

声明で訴えたいことは,本文中にひと目でわかるように次のように箇条書されています.

1. 基礎科学に対する理解と推進への支援をお願いします。

2. 基礎科学の推進のために、国立大学の運営費交付金は欠かせません。運営費交付金のこれ以上の削減は国の未来を危うくします。直ちにやめるべきです。

3. 国立大学の教育・研究の基盤になっている教員の削減は綿々とつながる知の鎖を断ち切り、教育力及び研究力を弱体化させます。教員数維持にご支援をお願いします。

1については前回のエントリでも述べましたが,理解してもらうための努力がまさかこの声明文ではないですよね? 国立大の理学部全体でどれだけの数の学生がいるのかは知りませんが,「基礎科学に対する理解と推進への支援」のために,学生相手に一体どのような活動や教育をしているのでしょう.目の前にいる,しかも理学を学びに来ている人たちを説得できないのだとしたら,一体誰を説得できるというのでしょうか.もっとも,彼らは役人を説得できればそれで十分なのでしょうけど.

2についてですが,最近,自民党の河野議員が「研究者の皆様へ」から始まる4つのエントリを公開したのですが,「基礎研究への研究費が削られている」という指摘に関して,具体的な数字を出したうえで,基礎研究への研究費は増加していることを述べています.

運営交付金は減っているが研究費そのものは増加しているんですよね.これは私自身も(具体的な数字はないですが)2年以上前のエントリでも書きました.

大学における研究費の総額は増えているそうです.今後も増え続けるか,少なくとも大幅な減少はないでしょう.一方で,国から大学への資金提供は減り続けます.(中略)言い換えると,ポスドクの雇用資金は減らないが,正規の教員の雇用資金は減り続けるのです.

そういうわけで,「運営交付金が減らされてるから基礎研究がヤバイ」と言われても説得力にかけるのですよ.

運営交付金の話はどちらかというと3に関わる話でしょう.声明文で若手の教員の数について次のように述べています.

教員の削減は次世代の若手教育者・研究者の育成に対しても深刻な影響を与えます。大幅な教員削減を迫られている大学においては、定年で退職する教員を当分の間補充しないとしています。(中略)自分のキャリアが確保されないこの状況の中で、次世代を担う若手が人生をかけて研究に参入するとは思えません。

ところで,学校基本調査の教員数のグラフ(PDF)のどこをどう見たら「教員数が減っている」などと言えるのでしょうか.河野議員も具体的な数値をブログに書いていますが,理学部長くらいになると,多忙のため理学から遠ざかりすぎてグラフも数値も読めなくなってしまうということなのでしょうか.

減っているのは,若手の終身雇用のポストであって,全体としての教員数ではないのですよ.そして,なぜ若手の終身雇用のポストが減っているかといえば,それは理学部部長を務めるような人々の世代の人たちのせいなのですから,まずは,そういう世代の方々が身を切らなければいけません

年齢構成の偏り一因としてよく指摘されるのが、2004年頃から各大学で取り組んだ定年の延長だ。同年に高年齢者雇用安定法が改正され、定年の引き上げか、継続雇用制度の導入、定年の廃止のいずれかの措置を実施しなければならなくなった。文部科学省の人事課によると、大学教員は、給与の下がる再雇用制度ではなく、給与水準がおおむね維持される定年延長を採用していると推測されるという。

多くの企業では再雇用制度を採用しているのにも関わらず,大学は,無責任にも関わらず決定権があるのをいいことに,自分たちの給与は確保しているわけです.

それほど(安定した身分の)教員数が大切だとか,若手教員の育成が必要だとか主張するのならば,その分野に携わり決定権を持つ教授レベルの人たちが自ら率先して給料を若手に回すなどするべきです.その分野のトップがお金を出せないのなら,部外者が金を出せるわけ無いでしょう.

一応,大学は頭脳労働者の集まりのはずなのですが,そういう人たちが集まった結果がこの声明というのは本当に悲しくなります.

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予定調和

ポスドクの皆様,こんにちは.今日は皆様に,朗報をお持ちしました.

国立大学協会が、昨年、国立大学を対象に行った調査では、2015年度に「定年退職する教員の補充を一部凍結している」と回答した大学が33に上った。担当者は取材に対し、「自発的に答えた大学が33あったというだけで、やっている大学が他にもある可能性がある」と話す。

念の為になぜこれが朗報なのかを説明しますと,もうこれで「団塊の世代が退職するからポストが空く」とか脳天気に言う人や信じる人がいなくなるからです.

運営交付金の削減がある以上,退職が空きポストを意味しないなど,何年も前からそこそこ多くの人が言っていたし,わかっていたことでもあったのですが,この取材の結果で,いかに大学が人を採用できないかが十分に実感できるでしょう.少なくとも「ポストが空く」などとこれから大きなチャンスが来ると信じている人の頭を冷やすには十分かなと思います.

見方を変えれば国立大学の60%が(少なくとも自発的には)教員の補充を凍結していないとか,私立大学もたくさんある,と言いたい人はいるでしょう.しかし,国立大学は比較的2018年問題の影響を受けずに済む大学なのです.つまり,2018年問題のとばっちりを受けるのはその殆どが私立大学なのですから,私立には空きポストがでてくる,など悠長なことは言えないはずです.国立大学の60%? 北大ですらあの体たらくだというのに,一体どこの大学がまともに採用ができると思っているのですか?

さて,ポスドクの皆様はもうおわかりですね? あなたがどんなに頑張ってもポストが空かないのではポストにありつくことは不可能です.企業への就職活動がんばってください.

願うだけなら賞も努力も要らない

日本人のノーベル賞受賞者がでると,「日本人がノーベル賞を受賞」といったような見出しの記事は出るものの,受賞理由となった研究についてはろくに解説もされず,一方の(受賞者を含めた)研究者たちはこれに乗じて研究環境の改善を訴えるという一連の流れがここ数年同じように起こっています.

しかし,彼らの訴えが一般の人まで浸透するということは決してありません.重要なのは「日本人がノーベル賞をとった」という事実だけなのです.だから「日本人の受賞なし」がニュースの見出しになったりするのです.受賞理由の研究を解説できる記者もいなければ,解説記事を読みたいと思う読者も日本にはいないのです.

日本の研究者たちは「二,三十年後,日本からノーベル賞は出なくなる」と脅すのが好きなようです.しかし,数十年後のことなんて誰にもわからないということは誰でも知っていることですし,なにより数十年後のことなどどうでもよいのです.日本人のノーベル賞受賞者がでなくなればニュースでの取り扱いも小さくなり,話題にのぼることもなく(日本では)ノーベル賞そのものが忘れ去られるのがオチでしょう.

そんな中,大隅教授が科研費の倍増を訴えているというのが,研究者界隈で話題になっているようです.(全文引用はしませんので,リンクから全文をお読みになってください.)

一方、現在の科研費、とりわけ基盤研究の絶対額が不足しており、採択率がまだ圧倒的に低い。今の2、3倍になれば大学などの雰囲気も変わり、初めて間接経費の真の利用を各機関で工夫することができるのではないだろうか。(「科研費について思うこと」より)

大隅教授の言っていることは理解はできるのですが,実際に科研費倍増などしたら悲惨なポスドクを量産するだけです.上でリンクした記事は「私と科研費」と呼ばれるエッセイのひとつなので,科研費がテーマであり,科研費にとらわれなければおそらく運営交付金についても同じようなことを仰るでしょうが,運営交付金が増えたところで,今現在終身雇用されている大学教員がぬくぬくと生きていける以上の効果はないでしょう.

むしろ,こういったお金を要求するような主張は「研究結果は金で買える」と言っているようなものです.まさに公共事業そのものです.ならば,道路と同じように「必要だと思ったところにお金を出せば良い」わけですよね.言い方を変えるなら,必要がなければお金を出す理由もない,ということです.

社会が将来を見据えて、科学を一つの文化として認めてくれるような社会にならないかなあと強く願っています。(ハフィントンポストの記事より)

日本の大学教員は基礎研究を日本に根付かせるのに失敗したのです.大学には,基礎研究の大切さや難しさなどを理解した人材を社会に送り出すという機会が,それこそ何十年もあったのです.基礎研究を文化と認めてくれるような人材を育成する機会が,です.その間,大学教員は一体何をしていたのでしょう.その機会は今でもありますが,科学を文化と認めてもらうために,一体どのような努力をしているのでしょう.

残念ながら,もう,手遅れなのです.

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海外学振の憂鬱

1年以上ぶりの更新です.皆様いかがお過ごしでしょうか.

久しぶりに書こうと思ったのは,北大で教授205名分の人件費削減が提案されたからではありません.減給をすれば済む話なのですから,中の人には面白くなくても,たいした話ではありません.何より,「カネのことを考えずに研究に励む」のが研究者なのですから,某大学の某研究所のように(ほぼ)全員無給にするくらいで丁度いいのではないでしょうか.事務員の方々は可哀想ですが.

本当の理由は,海外学振による米国滞在が危ういという報告に対する反応がわりと興味深かったからです.アカデミアを知らない人の誤解を解くのはこのブログの目的の一つでもあるので,上の報告について少し書くことにします.

まず,海外学振は博士号取得後5年未満の若手が海外で研究するための人件費(+チケット代)をJSPSが補助する制度です.この人件費は渡航先によって異なり,アメリカの場合年額約525万円もらえることになっています.今回の話は,アメリカで働く外国人研究者の最低保証賃金が,今年の12月から47476ドルになるという話です.つまり,海外学振で米国に滞在する場合,仮に約110円/ドルよりも円安になると,最低保証賃金が満たされない状況がでてくるので,海外学振に通っても受け入れ拒否の可能性がある,という話です.

「学振では最低保証賃金が満たされない」という話は以前からありました.例えばスタンフォードではNIH勧告よりも高い独自の給与基準があり,それによれば博士号とりたてでも50000ドルは保証するということになっています.これだと105円/ドルより円安だとアウトなのですが,海外学振はスタンフォード大が雇うわけではないので,問題になったという話は無いようです.ところが,今回の話ではビザ取得に関わる内容と思われるので,大きな問題となっているわけです.

スラドの反応で興味深かったのは「米国に派遣されるのはエリートだ」という意見です.海外学振(あるいはそこそこ規模のある研究費)に通るくらいならエリートに違いない,というのはひとつの見方だと思うのですが,「日本の研究者が日本のお金で海外に滞在する」理由は,ほぼ例外なく「そこにお金(研究費)があるから」です.別に「米国派遣にふさわしいかどうか」などという選別が行われるわけではありません.

少なくとも学位取りたての若手に限るなら,そもそも「(海外渡航以前から)エリート」な研究者は海外学振などという面倒な方法は取りません.大抵の大学では学位取りたての若い研究者は歓迎され,しかもエリートと形容されるようなレベルの研究者なら,(PIが給与を捻出出来るだけの研究費を持っていれば)来てくださいとお願いされるくらいでしょう.つまり,申請時期も申請方法も採用期間も限られ,その上審査は第三者などという馬鹿げた制度など使う理由はない,ということです.(PIが潤沢な研究費を持っていない場合? そんな研究室に行って何をするつもりなのですか? 学振PDのような特別な研究費は海外学振にはついてきません.)

もうひとつ言わなければならないのは,学振研究員はどこに行ってもお客様だということです.(リンクしたPDFの18ページ以降を参照してください.)実際,研究グループのウェブサイトで visitor あるいは guest の欄に名を連ねることになったり,そういった形式だけではなく,仲間扱いされないのです.それは「のけ者にされる」という意味ではありません.「PIはあなたの研究に責任は持たない」ということです.

PIも自身の研究で手一杯なのです.そして,グループの学生やポスドクは,そのPI自身が一緒に仕事をしたいと選ばれた人たちなのです.翻って学振研究員はというと,本人が来たいと言っているし,人件費は考える必要がないので居てもいいですよ,というだけです.まさにお客様というわけです.そんな人の研究に大きなリソースを割くわけにはいかないのです.有名な大学のPIは大抵人がいいので研究の相談にはのってくれるでしょうが,どこまで真剣に考えてくれるかというのは微妙という他ないでしょうね.それは学位取りたての研究者には致命的なのではないかと思います.

もちろん,滞在先で八面六臂の活躍をしているのなら話は別でしょう.そして,繰り返しになりますが,そういう活躍ができるのならわざわざ海外学振を利用する理由などありません.

ところで,とある教授は海外でポスドクをやった人に対して「留学復帰ポスドク制度」はどうかと提案したそうです.渡航先では他人として扱われ,戻ってきたら復帰が必要と言われる海外学振に存在価値はあるのでしょうか.

研究の価値と給与

だいぶ大学に関する悪口を書いたので,原点回帰をしてポスドクの内面について書きたいと思います.前回の記事の最後の段落についての補足です.

以前,ポスドクが存在する理由について,次のように書きました.

ポスドク本人が望んでいるから,ではありません.ポスドクが存在する多くの理由は,研究費で研究補助を雇えるからです.研究費には期限がありますから,ずっと雇うわけにはいきません.ですから有期雇用契約なのです.

しかし,薄給・無給ポスドク(それから専業非常勤)に限定すれば,存在する理由は「ポスドク本人が望んだから」です.生活できないような給料の仕事をすることは,少なくとも本人が望んでいなければできないことです.きちんと生活できる仕事を探すことを放棄して,研究を続けられればいいと甘んじた結果なのです.

このブログ(特に初期)では何度もお金の問題を取り上げました.(「お金」タグから記事が読めます.)それは,ポスドクにとってお金が問題になることが多いからです.

最大の原因はお金に対する意識です.特に基礎研究に携わる人の中にはお金に対して無頓着だったり,それを超えて蔑視していたりする人がいるのです.

ある博士課程の学生さんと話をしていたときのことである。たまたま中村教授の名前が出たのだが、その名を聞いた彼は即座に「ああ、あの下品な人ね」と反応し、私を愕然とさせた。「何が下品なの」と聞くと、「あれだけおカネにこだわるんだから、そりゃ下品でしょ」という。

ここまでひどくはなくても,貧しく働くことを美徳だと考える人は決して少なくないようです.ここに「お金のことは考えずに研究に没頭するべし」と言う人たちの存在が洗脳に拍車をかけます.

(だったら大学教員はすべて無給にしたらいいんじゃないですか? どこかの無給ポスドクで占められる研究所同様,生活費は非常勤等で稼いでもらって,科研費に応募できる権利だけ与える.有言実行すべきです.)

博士課程に進学する以前に会社等に勤めて給料を稼いだことのある人はごくごく少数でしょうから,学生としての生活資金に無頓着な人も多いのでしょう.また,基礎研究は「すぐにお金にならない研究」という事実もおそらく関係しているでしょう.「自分たちは金儲けのために働いているのではなく,日本(あるいは世界)の将来のため働いているのだ」というと美談のように聞こえます.

しかし,あなたの研究は無価値であり,あなたの論文は静かに忘れられるだけです.あなたの研究がとても重要で価値があるというのなら,なぜ誰もきちんとお金を出してあなたを研究者として雇わなかったのでしょう? そんなに価値があるのなら,どこかできちんと雇われて研究を遂行できるはずです.小保方だって研究の重要性を認められて雇われたのです.誰も価値を理解できないって? それを無価値って言うんですよ!

薄給・無給で研究を続けるというのはただの趣味です.そうやってポスドクやってればいつかコネでなんとか正規教員のポストが見つかることを夢見てるんじゃないですか? しかし,正規のポストは清貧で在り続けたことへのご褒美ではないのです.

ポスドクの現状についての雑感

既に2015年度がスタートしました.「数年後にはポストが空く」という記事が公開されたのは約2年前でしたが,ポスドクを取り囲む状況はあまり変わっていないようですね.

当然です.このブログで何度か述べているように,教授が退官したからと言ってすぐにその穴を埋めるという話にはなりません.交付金の減少や少子化等々お先真っ暗な状況で,そう簡単に人を採用するわけにはいかないのです.また,数年前と比べて採用そのものは多くなっているのかもしれませんが,仮にそうだとしても,有期雇用契約は都合が良い上,ポスドクの雇用資金(研究費)はあるわけですから,ポスドクの数は正規教員の募集の数を圧倒的に上回るという状況は変わりようがありません.

念の為に書いておきますと,このブログではポスドクを「有期雇用の研究者」としています.ですから「特任○○」とか「特命〇〇」などという職位はポスドクです.このポスドクについて以前次のように述べました.

日本のポスドクにはパートタイムや無給のポジションが少なくない

ということです.(多くのケースを知っているわけではありませんが)海外ではそのようなポジションがあるとは寡聞にして知りません.

これについて,アメリカで月$2000の公募を偶然見つけてしましました.

日本円だと月24万でしょうか.手取りでは20万に満たないでしょうね.しかも,募集ページの Preferred Qualifications には “Prior postdoctoral training preferred.” とあり,数年のポスドク経験があっても月給$2000という募集に皆さん驚かれているようです.(反応の中に「無給ポスドク」への言及もあったりします.)

一応,NIHがポスドク等の給与に関する勧告を出しており,それによればポスドク初年度でも月$3500もらえるということになっています.これには強制力はないので,この水準未満の給与のポスドクもいるというのは聞いたことがあったのですが,月$2000というのは破格ですね.

(ちなみに,ポスドク経験7年以上の給料は勧告では$55,272となっていますが,これでも司書の給与中央値に届かないことが,このブログエントリで指摘されていました.)

念の為に書いておくと,アメリカや欧州でもポスドク問題はあります.この記事は主に米国(一段落だけドイツ)の話ですが,欧州でも同じような話は聞きます.(日本社会固有の問題もありますが.)

また,アメリカではなくイギリスについての記事ですが,

Recent surveys by the Royal Society of London suggest that a meager 0.45% of STEM PhD holders in the UK become tenured professors — that’s less than half of 1 percent!

とあり,イギリスでも正規の教員になれるのは極々一部のようです.もちろん,PhDをとったからといって,アカデミアを目指さなければならないわけではないですし,STEMには工学も含まれているのですが,この記事からアカデミックキャリアの厳しさをうかがい知ることができます.同じ記事にある

According to a recent survey, 53% of entering life science PhD students aim for tenure-track positions. Unfortunately, even the expectations of their supervisors are skewed. Surveys indicate that professors often encourage their students to follow in their footsteps, and in some cases, actively discourage careers outside academia.

も見過ごしてはいけません.

一方,何度も書いていますが,日本では薄給・無給のポスドクは至って普通です.「任期1年、時給840円のポスドク」はアリかナシかなど,2015年に話題にするような内容ではありません.とある研究所では,「所属」する研究者のうち,その研究所がお金を出して雇っているのは数名の特任教員のみで,大部分が無給ポスドクで占められていたりします.(募集要項で「他大学等で雇われていない」ことが要求され,給与が出ないことも明記されていましたので,その研究所の(特任ではない)研究員であるということから無給ポスドクであることは確定なのです.)ですから,840円でも給与が出るだけマシですよ.月$2000のポストなんて恵まれている方です.

しかし,ポスドクをとりまく環境がどんなに悪かろうが,薄給・無給ポスドク達は彼・彼女らが望んでそうなったのです.まともな給与が出ないところには応募しないことが普通にならない限り,薄給・無給ポスドクは存在し続けます.「まともな給与が出ないところには応募しない」というのはごく普通の感覚だと思いますが,それが通用しないのが日本のアカデミアなのです.このブログでテーマである選民思想だったり,コネ採用を待ち続けるだけの我慢大会が状況を悪化させているのでしょうね.

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大学が社会から必要とされてない件について

日本の大学は基本的に国のお金で成り立っています.大学教員がどんなに大義名分を訴えても,国の様々な事情に逆らうことはできません.国の台所事情の悪化が大学経営に影響するというのは最もわかりやすい話ですが,人口減少も大学に大きな影響を与えるでしょう.学生のいない大学に存在意義はありませんからね.

人口減について言えば,例えば2018年問題知られています.簡単に言うと少子化の極端な影響が2018年に現れる,という話です.長期的には東北を中心として少なくない数の市町村が消滅する可能性が指摘されています.いずれにせよ大学を取り巻く状況は年々悪化しています.

特に人文系に対する風当たりは強いようで,各所で様々言われているようですね.

「社会的要請の高い分野」だけからなる学校、それは大学universityとは言いません。大学universityの中には、宇宙・世界universeが入っていなければなりません。(中略)目先の基準でいらないものを切り捨てていった組織は、起こりうる変化に対応できません。

随分と浮世離れをした発言ですね.こんな言葉遊びしか出来ないのなら今すぐに大学を消滅させたほうが世のためなのではないでしょうか.また,大学がなかったから変化に耐えられなかった国など一体どこにあるというのでしょう.あるいは「変化に対応」するときに大学が如何に貢献しているのかを述べないと意味のない主張なのですから,具体例を一つでも挙げていただきたいものです.まさか有りもしない(大学の)業績を主張しているわけではないのでしょうからね.

一つだけ確かなのは,大学は日本社会において必要と思われていない,ということです.大学は昔からレジャーランドと言われ,入試によるスクリーニング機関としてしか機能していないのです.実際,大学で学ぶ内容が重要だと認識されているならば,就職活動の際に大学で何を学んできたか等が要求されるでしょう.(最も,企業が大学教育を軽視する最大の理由は終身雇用制にあるので,大学が教育機関として機能するためには終身雇用制を終わらせる必要があるのですが.)

「大学が職業訓練所であるべきか」については昔から様々なところで話題になっていますが,それをかなり具体的にしたのがG型大学・L型大学の話でしょう.このブログに来られるような方はどこかで一度聞いていると思いますが,元の資料は「実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議」の資料4です.これは議論の叩き台で,実際,様々な方がブログ等で意見を述べていますが,日経の報道によれば,少なくとも文科省はこれに近い方向でやっていきたいのでしょう.

「L型大学は大学ではない」的な意見が多数見られますが,確かにここで述べられているL型大学が大学として呼ばれるにふさわしいかは疑問が残るところだと思います.実際,今あるような大学は要らないと言われているのでしょう.

しかし,多くの大学はこの案を喜んで受け入れるべきです.何故なら,この案は「大学を潰して新しい教育機関を作る」わけではなく,今ある施設や教員を再利用しようと言っているからです.わかりやすく言うと,不要になった大学の教員の再就職先の面倒もみると言っているようなものです.なんと優しい改革案なのでしょう.

そして,(特に若手の)大学教員は,どんなに嫌でもこの方向転換を受け入れなければなりません.冒頭で述べたように,大学は国の経済状況と入学者数に大きく左右されます.大学が安泰になるほど日本の景気が回復することはもうないでしょう.大学の入学者を十分に確保するのも不可能です.多くの大学は存亡の危機に立たされるのです.そんな状況で,呑気に研究している余裕などあるわけないのです.

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