お久しぶりです.前回の更新からすでに2年経過しましたが,みなさんいかがお過ごしでしょうか.博士問題,改善も解決もしていないのにほとんど誰も話題にしなくなりましたね.もともと多くの社会問題に比べればかなり小さな問題ですし,なにより解決する動機自体が皆無ですので,話題になったとしても毎度似たような意見が並ぶだけで,話題としての面白みに欠けるのでしょう.
そんな中,とあるスライドがキュレーションサイトに取り上げられているのを見て,このブログを書き始めた2013年から何も変わってないのだなと思い,少し書くことにしました.スライドは上のキュレーションサイトへのリンク先か,SlideShareでご覧になれます.(スライドの埋め込みが何故か機能しないので.)
まず,大前提ですが,博士課程進学(あるいは大学院進学)に必要なのは資金と戦略と研究室調査です.スライドに書かれているような博士課程全体としての統計だったりイメージだったりなどというのは無意味です.
スライドの13ページ目から「イノベーション」という言葉を使っていますが,このコラムにあるように,イノベーションとは「新結合の遂行」であり,研究の方法論やそれに必要な能力を鍛えたところで,イノベーションが起こせるようになるわけではありません.
経済が動かないうちはイノベーションではない。
「博士しか相手にされない欧米、博士を必要としていない日本」という記事のスクリーンショットを使用しているようですが,この記事に書かれていることは研究職に限定されています.
大学はもちろん、著名な企業では研究職を得ようと思ったら博士号を持っていないと相手にしてくれません。
職務内容が研究だから「研究者養成機関」である博士課程の修了を要求しているのです.言い換えれば,企業は研究者の養成はしないという意味です.一方,日本企業の研究職ですが,大抵,修士も採用しています.言い換えるなら,「研究の方法論やそれに必要な能力をその企業内でお金をもらいながら鍛えられる」ということです.であれば,日本企業の方が理想的ですよね.
それ以前に,博士号取得後にどの国で就職することを考えているのですか?「グローバル社会」と言っても,日本国内での就職(大学を除く)を考えているのなら,博士号は必要ないですよね.
また,
10年後、20年後に活躍するためには博士号が重要になると予想される
というのはただの希望ですね.
そもそも博士課程も,イノベーションという言葉も古くからあるわけで,もし仮にイノベーションに博士号が重要というのなら,10年後などと言わず,もうすでに博士号の需要が高まっていないとおかしいでしょう.イノベーションを起こせる人材などどの企業も喉から手が出るほど欲しがっているのですから.でも,そうなっていないでしょう?ポスドク1万人計画からすでに20年以上経過して,結果,日本でどれだけイノベーションと呼ばれるものが起きたというのですか?
日本には博士号取得者が活躍できる職場が限られているのが問題?企業が博士号取得者の使い方を知らないのが問題?ならば博士号取得する意味ないですよね.
28ページ目に2つの新聞記事のスクリーンショットをのせた上で,
近年の国内外の動向 進学の際は、過去の情報に縛られず、 今どうなのか、これからどうなるのかを考えて判断してほしい
と述べているのですが,「これからどうなるのか」というのは「正しい知識」にはなりえないし,就職という最重要課題について,「兆し」とやらに何かを期待するようなら,博士課程に進学するのはやめたほうがいいです.
37ページ目に
博士進学者は未だ減少傾向
あるいは
博士の競争相手はさほど増加していない
とあるのですが,博士学生の数って減少しているのですか?日本の(理学の)博士学生の数が減っていることなら学校基本調査を見ればわかりますが,世界の博士学生数が減少にあるという統計は寡聞にして知りません.
まさか,日本の大学の博士学生に限定はしていないですよね?グローバル社会においての競争は国内に制限されるわけではありません.博士が必要な職種(つまり研究職)に限定して言うなら,競争相手は国内の博士号取得者ではなくて全世界の博士号取得者です.
理想論を言っているわけではありません.2016年にトヨタが設立した人工知能の研究開発を行う研究所はアメリカにあります.リクルートも小さい研究所をアメリカに持っています.また,メルカリの外国人採用は最近話題になったばかりです.
メルカリに入社した100人超の新入社員だ。そして、このうち半数近い44人が外国籍である。
メルカリについては博士号は関係ないと思う人もいるでしょうが,グローバル社会で起こっていることは,全世界からの人材の奪い合いなのです.仮に近い将来,博士号取得者の価値が上がったとして,日本企業が採用する博士号取得者が日本人であるとは限らないのです.それどころか,トヨタのように,研究所が海外かもしれないのです.研究そのものがグローバルである以上,世界をリードするような研究者が欲しいときに,数がかなり限られている日本人に採用を限定するというのはリスクにしかなりません.
39ページ目に,
博士課程への進学者が少ないからこそ、 一人に掛けられる指導や予算が手厚くなり、劇的に成長できる
とあるのですが,これは研究室と予算獲得状況に依存するので,博士課程への進学者数とは無関係です.そもそも科研費取得状況(および使用用途)は進学前に調査するべきことで,「学生一人あたりの予算」などというふわっとした量(しかも比較対象が過去)など無意味です.
ここまで,スライドの中で気になる主張を取り上げ,それに対してコメントしました.ただ,勘違いしないで欲しいのは,私は別に「このスライドは嘘ばっかりだ」などと主張したいのではありません.
私が言いたいのは,博士課程進学の是非という問題に対するアプローチ自体が間違っているということです.有益なのは第3節くらいです.様々な主張が統計に基づく限り,スライドの内容をどう改善しても,「就職先はだいたい見つかるから平気」以上の主張はできません.
自分がどう生きたいか,という問題について,統計を持ち出すこと自体がナンセンスだと言っているのです.問わなければならないのは,あなたがしたいことについて十分に準備ができているか,ということです.